名づければ、センチメンタル・ジャーニーといったところなのだろう。
僕が旅に出ようと思ったのは、女にふられたことがきっかけなのだから。
ただ、そんな女々しいことは認めたくなかった。
だから、気持ちの切り替えに旅行を選んだだけだと自分に思い込ませようとした。
女とは、1年たらずのつきあいだった。
ありがちな話で、『今度こそ最後の恋だ』と思っていた。
女のほうも、同じことを言っていたはずだ。はずだというのは、別れたことをきっかけに、
つきあっていた頃の重要なポイントの記憶がどんどん消えているからだった。
その代わり、ささいなシーンや会話が僕の胸を絞めつけた。
それから逃れたいがために旅に出たというのもある。
外気が僕の何を変えてくれるかわからなかったが、
とにかく家を飛び出ずにはいられなかった。
「歳を重ねるのが悲しいのは、
人生の残りが少なくなることに対してではなくて、
過ぎ去るものを多く持ってしまうからですねぇ」
ひだまりでうたたねをしているような顔で、春奈さんが言った。
僕はうなづいていいものやら迷った。実感としてないことなので、
ただ若さが失われていくことに対してしかわびしさを感じていなかった。
「過ぎ去るものを多く…でも、苦しいけどそれはしかたないことですよね」
「苦しいうちは、まだ若い証拠ですよ。
私ぐらいになると、過ぎ去ったもののひとつひとつがいとおしくなる。
手のとどかない、いとおしいものが、どんどん増えていくんですよ」
春奈さんは遠くの何かを見ているようだった。
その顔は決して苦しそうには見えなかった。
だから無理しているのではないのだということがわかった。
「そうかもしれませんね。でも僕はまだ、そこまで悟れませんが」
「悟るなんて、一生知らないでいいんですよ。
悟る代わりに人はなにかを手放しますから」
春奈さんは何を手放したのだろう。思ったが聞けず、口ごもる。
そんな僕をみてとったのか、春奈さんが笑顔で聞いてきた。
「今日はこの近くにお泊りで?」
「ええ。この先の静寂荘に」
旅館に戻ったとたん、雨が降り出した。
入り口にいた仲居さんが、真っ赤な傘を持って走ってきてくれた。
みあげる空は水色と灰色が混ざって、ぼんやりとしていた。