April 18, 2004

印度にて

昼のチャイムが鳴った。
亜紀はやりかけのエクセルを閉じると、ランチに出かける同僚を横目で見ながら屋上に上った。
予定ではエア・インディアAI305便がテイクオフする時間だ。
視界の中にはすでに葉桜になった新緑のうねりの向こうに4月の弛緩した空が広がっていた。

機は高度を少しずつ下げる。眼下にかすかな灯火が見えてきた。
あれが印度か。直樹がそんな感慨にひたる間もなく、インディラ・ガンジー空港に着陸した。
むわっとする熱気にクレゾールとスパイスを足して二で割ったような香りが混じる。
イミグレーションを出ると空港の職員が5mぐらいの間隔ならび「デリ、デリ」とつぶやいている。
拡声器を使わずに人海戦術でアナウンスするなんてさすが印度だ。

「なんで印度なの。しかも会社まで辞めて……」

亜紀は泣き出しそうな顔で聞いた。
しかも婚約までなかったことにしてほしいと直樹は言うのだ。

「いや、どうにも自分でもわからないんだけれどね」
「すべてを初期化してから行きたくなったんだよ」

空港を出ると人とクルマの多さに圧倒された。
一斉に寄ってくる物売りたちをしりぞけて、直樹は通りに出ると、なるべく実直そうな流しのオート・リキシャに声を掛けた。

「コンノート広場のアシュラホテルまで」

アシュラホテルはニューデリーでも中級以上の宿。
贅沢をするつもりはなかったが、印度の第一日目の夜だけはおちついたところに泊まりたかった。
だからエアチケットを取ってくれたマイナーな旅行代理店に頼んで適当な宿を予約しておいたのだ。

ホテルマンについて長い廊下を歩き、部屋に通される。旧式のエアコンがうなりをあげていた。
これまた年代物のダイヤルチューナー式のモノクロテレビがある。おもしろいから観ろと、おせっかいなホテルマンがスイッチを入れる。
チューニング・ダイヤルをあわせると、画面にはノスタルジックな日本のちゃんばら映画が流れていた。音声はヒンディー語に
英語の字幕という訳のわからない代物だった。

亜紀は自分のデスクに戻るとwebでデリーの街を検索してみた。
画面にはオールドデリーのバザールの画像。混沌とした町並みが映し出された。
灼熱の国。まだ見ぬ印度とそこを歩くちょっと求道者のような顔つきの直樹を思い浮かべた。

「明日、アーグラー行きのバスツアーがある。エアコン付きのデラックス・バスでしかも英語のガイドが付くんだ」
「いいか、ヒンディー語じゃなくて英語だ。すごいだろ」

ホテルマンは部屋に居座って営業に余念がない。
直樹は適当にあしらってホテルマンを部屋から追い出しテレビのチャンネルを換えた。

スタジオの映像なのだろうか、シタールの演奏が延々と流れていた。
固定カメラ2台をときたま切り替えるだけという、シンプルなカメラワークが日本のテレビを見慣れた直樹には新鮮だった。
スポットライトの中で淡々とシタールを弾きつづける老人は長くて白い髭をたくわえていた。
どれぐらい聴きつづけたのだろう。さきほどから弦の音が妙に心の襞をくすぐっている。
音が跳ね、直樹もそれに合わせて白日夢を見た。
コンパクトディスクの裏側みたいな虹の帯が弦の音と同期して波をうち、fairy taleが舞い降りてくる。
ナチュラルハイの嵐が過ぎ去った後も直樹はしばらく動けなかった。
その時やっと印度に来たんだと実感がわいた。

Posted by kage at 08:00 PM | Comments (0) | TrackBack

April 06, 2004

シーツ

「そろそろ寝具屋さんに行こ」

サクミの言葉で僕は次の季節が来たことを知る。
今は黄色のシーツ。
何度も洗ってクリーム色に近くなっているのは、
それだけ僕たちが愛しあったからだ。
次は当然若草色だろうという僕の予測ははずれた。

3月には菜の花色のシーツ、4月には新緑色のシーツ。
こうして華やいだ自然の上で動物になることが、
この3年間つづいてきたことなのに。

「今年は白にしましょう」

“白・・?
 僕がどんな想いをしてサクミといっしょになったと思ってる?”

なぜ白でこんなにざわめくのか。
僕たちがあらゆるものを裏切って生活を共にしたとき、
毎日毎日白い菊がアパートに送られてきた。
そのときサクミが「白はタブーな色ね」と泣いた。
それ以来、白は禁句にさえなっていたのだ。
その白を次のシーツの色に・・?

僕はよほど切羽詰った顔をしていたらしい。
「シュウ? どうしたの?」
冷たい手で頬に触れられて、我に返った。
「だって、白って・・」

サクミが、“あぁ”という表情になった。

「だからこそ白を使いたいの。もう、白解禁にしよう?
 白いシーツを巻いてウエディングドレスごっこしよ?」

そういえば、僕たちの生活には、色のあるものしか存在しない。
白いお皿も1枚もないし、白いカップもひとつもない。

「白いシーツを買おう。
 それと、ごっこじゃなくて、
 ほんとのウエディングドレス着せてあげるよ」

ここはデパートの寝具売り場だというのに、
僕は思いきりサクミを抱きしめた。

でも僕にとっての“白”はサクミなのだと、
どんな色もサクミの前では褪せてしまうのだと、
今夜、白いシーツの上で告げるつもりだ。

Posted by hikari at 01:20 AM | Comments (0) | TrackBack